古代ローマの酒場 かの有名なシーザーに代表される、古代ローマは 、ヨーロッパ大陸を支配していた、様々な民族を制圧して、強大な帝国を築きました。 勿論、ウイスキーを生み出した、かの有名なケルト民族も、征服されたのです。 全ての道はローマに続くと言われるように、ローマ人は、征服した領土に堅牢な道路を整備し、 次々と土地を開墾し、葡萄を植樹していったのでした。 まさに、地中海性気候の産物であった葡萄の北限を、次々と切り開いたパイオニアでもあったのです。 人々は、征服した土地へ移住するとともに、盛んに交易を始め、人口の大移動も始まるのです。 そして、まさに、辺境と文明とが接する土地に、宿屋にして酒場、 そして、娼家をかねた施設が誕生する事となったのです。 宿屋は、文明的な町の法律的な権限が、何とか及ぶ境界線に位置し、 合法と非合法が微妙に絡み合った、無政府的でアナーキスティックな、 悪場所をも提供していたのです。 なるほど、当時の娼家を兼ねた旅籠の主人に、女主人が多いのも、大いに頷けるのである。 それゆえ、当時は、旅籠を営む者の社会的地位は、極めて低く見られていたのでした。 宿屋の主人は、正式に裁判を受ける権利もなければ、 証人になる事さえもも出来なかった程なのでありました。 |